原子力施設で働く人たちの被ばく線量測定は、線量計を装着して外部被ばく線量を測定し、またホールボディカウンタによって体内の放射性物質を測定して内部被ばく線量を推定することで行われています。しかし、例えば不意の事故などで管理区域以外の人が被ばくし線量計を装着していなかった場合など、正しく被ばく線量を評価できないことがあります。
高線量率放射線を生物が被ばくすると血液中の白血球やリンパ球の数が変化したり、それら細胞中の染色体に異常が発生することが知られています。このような生物の体内で起こる変化を指標として被ばく線量を推定することを生物学的線量評価(バイオドシメトリ)といい、被ばく線量の評価に使うことが可能です。これまで、この生物学的線量評価をより低線量率・低線量放射線の被ばく線量の推定に利用するため調査を行ってきました。
この調査の中で放射線による染色体異常発生頻度を指標として、高線量率放射線と低線量率放射線の生物影響の違いを数値(量)として表すことができました。このような線量率と生物影響の関係についての報告は数が少なく貴重であるため、その結果をここで報告します。
生物の細胞の中にある染色体は放射線を被ばくすると様々な形態の異常を示すようになります。この調査では、その中から転座と二動原体染色体を対象に調査を行いました。
転座は長期間安定して存在することから被ばく後の経過時間が長くても調べることが可能ですが、写真のように染色体それぞれを別の色で染め分けるなどの技術が必要であり、判別に時間がかかるという欠点があります。また、二動原体染色体は見分けがつきやすく結果が早くわかる反面、細胞分裂がうまくいかないため細胞死によって比較的早く減少していくという特徴があります。
このような転座や二動原体染色体といった染色体異常発生頻度の線量率による違いを調べるため、マウスを異なる線量率で照射して実験を行いました。
これまでの放射線生物影響の研究は、強い放射線(高線量率)についてのものが中心でした。その理由の一つに、弱い放射線(低線量率)ではある一定の線量に達するまでに長期間にわたって放射線照射をすることになりますが、その間の細胞の活動(適応や修復)を考慮する必要があるため、生物影響を評価することが難しいことが挙げられます。また長期間にわたる放射線照射は、マウスを使った実験を行う場合は飼育管理の面からも高度な技術が必要となります。
この実験ではメスマウスを使用し、マウスにとって特定の病原体がいない状態(SPF)で放射線照射が行われました。非照射及び低線量率放射線の照射は「寿命試験」とほぼ同じ条件です。また高線量率放射線の照射は専用の照射装置を使用して行いました。
染色体異常は放射線の影響だけでなく、加齢(老化)とともに増えることが知られています。そこで、放射線を照射しないグループも同様の条件で飼育し、比較対照群として染色体異常頻度を調べています。
上図のように非照射及び各線量率・線量で照射したマウスからリンパ球細胞を多く含む脾臓(ひぞう)を摘出して、リンパ球細胞の染色体異常を観察し、発生頻度(100細胞あたりの異常個数)の評価を行いました。
放射線による染色体異常頻度の変化について、照射した線量率ごとに分けて各線量での100細胞あたりに発生した染色体異常の個数を下に示します。左側が転座型染色体異常、右側が二動原体染色体異常を対象に調べた結果です。
高線量率放射線の照射では低線量率放射線と比較すると染色体異常の頻度が大きくなることがわかります。例えば転座型染色体異常について比較した場合、高線量率放射線で2000ミリグレイ(照射時間約2分)照射したときの発生個数は100細胞あたり50個弱ですが、低線量率放射線(20ミリグレイ/日)で2000ミリグレイ(照射時間100日)照射したときの発生個数は100細胞あたり約5個となります。また、高線量率放射線の染色体異常頻度はいずれの染色体異常も線量に対して曲線の関係で増加することがわかります。
低線量率放射線の照射では1日あたり20ミリグレイで照射した場合、非照射と比べて明らかに増加し、高線量率の結果と違って直線的に増加することがわかります。一方で1日あたり1ミリグレイで照射した場合では非照射と同様に若干高い傾向が見られ、特に転座型染色体異常は直線的に増加する傾向が見られました。
これらの結果をもとにして「線量・線量率効果係数」を求めることにしました。
線量率効果とは、同じ線量でも線量率(放射線の強さ)が違うと放射線の生物影響が違うことを言います。また線量・線量率効果係数とは、同じ線量で高線量率放射線で生じる生物影響の値と低線量率放射線の値の比を求めたものであり、右のような式となります。例えば線量・線量率効果係数が2である場合、同じ線量で低線量率放射線の影響は高線量率放射線の影響の2分の1であることを示します。
ここでは、その生物影響の値として染色体異常頻度を使い、線量200ミリグレイ以下を対象に線量・線量率効果係数を求めました。
以上のように放射線による染色体異常発生頻度を指標として、高線量率放射線と低線量率放射線の生物影響の違いを線量・線量率効果係数として表すことができました。これまで国際放射線防護委員会は線量・線量率効果係数に2という値を使うように勧告していましたが、調査結果では2.2から6.0という値であり、勧告の2という数値が安全側で評価されていることが確認されました。
本調査では更に1日あたり0.05ミリグレイでの染色体異常頻度の変化を調べる実験を行っており、染色体異常頻度の変化から線量・線量率効果係数を求めるとともに、被ばく線量を推定できるような技術の開発に取り組んでいます。
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