がんは日本人の死因のトップであり多くの人が発症する病気です。また放射線によるがんの発症も心配されています。一方、がんを防ぐ様々な機能が私たちの体には備わっており、その一つが免疫です。ここでは、がんと免疫と放射線の関係について実験した調査についてご紹介します。
がんは正常な細胞が何らかの原因で無秩序に増殖、転移し、臓器などの組織の働きに異常を引き起こす病気であり、その原因にはたばこや化学物質、放射線などがあります。
がんを発症するまでには、図のように様々な段階を経ます。それらの各段階で私たちの体は様々な防御機能を備えており、がんの発症を防いでいます。その防御機能の一つが免疫です。
免疫は、生物体内に侵入した病原菌を駆除する働きとして知られています。その免疫を担っているのは白血球という細胞で、白血球には様々な種類があり、その一つがリンパ球です。このリンパ球は、がん細胞を排除する機能も持っています。
しかし、リンパ球は放射線に弱い細胞であり、高線量率放射線を被ばくした時にはリンパ球が減少して免疫の働きが弱くなることもあります。一方、低線量率放射線を被ばくした時の免疫機能の変化については、これまでのところ十分と言えるデータは得られていません。
環境科学技術研究所で行われた寿命試験において、1日あたり1ミリグレイの放射線を400日間(総線量400ミリグレイ)照射したメスマウス及び1日あたり20ミリグレイの放射線を400日間(総線量8000ミリグレイ)照射したオス・メスマウスでがんによって早期に死亡する寿命短縮が観察されました。
この寿命短縮の原因の一つとして、「放射線によって免疫機能に変化が起きてがん細胞を排除する機能が弱まった」ことが考えられました。そこでこの考え方を検証するために、マウスに放射線を長期連続照射した直後にがん細胞を移植する実験を行いました。
低線量率放射線を400日間連続照射したマウス、及び放射線を照射しないマウス(非照射マウス)それぞれに同じ日齢でがん細胞を移植して比較する実験を行いました。もし放射線によって免疫機能が弱くなった場合、がんを排除できずに速く進行してしまうことが考えられます。同じ日齢の非照射マウスを使う理由は、免疫の働きが日齢によっても変化し高齢になるほど免疫機能が低下してがんの発生頻度が大きくなるためです。
本実験はメスマウスを対象として行い、移植したがん細胞は卵巣がんの細胞をマウス体内から取り出して培養したものを使用しました。1日あたり1ミリグレイの放射線を400日間照射したマウス(総線量400ミリグレイ)、1日あたり20ミリグレイの放射線を400日間照射したマウス(総線量8000ミリグレイ)及び同じ日齢の非照射マウスの背中の皮膚下に照射終了後同時に卵巣がん細胞を移植し、60日間にわたって飼育観察を行いました。
がん細胞を移植したマウスの写真を示します。免疫機能が正常に働けば、がん細胞が移植されても排除されるため変化が見られません(写真左)。このような見た目に変化が見られないマウスに関しては解剖して詳しく調べ、がん細胞が排除されていることを確認しました。
しかし、がん細胞が排除されないと背中の皮膚下に移植したがんが成長し、ふくらんでいることがわかります(写真右)。
移植後にがん細胞が増えたマウスの割合を図に示します。いずれの照射条件でも、放射線を照射したマウスの方が非照射マウスよりも移植したがん細胞が増える傾向が見られました。更に統計学的な処理をした結果、1日あたり20ミリグレイで400日間照射したマウス(総線量8000ミリグレイ)では非照射マウスと比較して有意な差があることがわかりました。
この結果から、放射線がマウスのがんを排除するための免疫機能に影響を与えたと推測されます。そこで免疫機能の変化についてより詳しい調査を行いました。
放射線長期照射後がん細胞移植実験で見られた放射線による免疫機能の変化をより詳しく調べるため、ケモカインという信号物質に着目して実験を行いました。
がん細胞からはケモカインと呼ばれる信号物質が分泌されています。一方で、がんを排除する免疫機能の主役であるリンパ球細胞の表面にはその信号物質を受け取るケモカイン受容体と呼ばれる部分があります。そのケモカインを受け取ったリンパ球は、がん細胞のところに誘導されてがん細胞を攻撃し排除します。
リンパ球のケモカイン受容体を作り出す遺伝子の発現量を調べてみたところ、がん細胞移植実験で有意な差が見られた1日あたり20ミリグレイの放射線を400日間照射したマウス(総線量8000ミリグレイ)では、非照射マウスに比べて遺伝子の発現量が減少し、ケモカイン受容体の量が減少していることがわかりました。
この結果から、低線量率でも総線量が高線量の放射線を照射されたマウスでは、ケモカイン受容体の数が減少するため、リンパ球ががん細胞に誘導されにくくなり、がん細胞が排除されにくくなった可能性が高いことがわかりました。
今回の1日当たり20ミリグレイの線量率は、放射線の量の定義としては低線量率の範囲に入りますが、総線量は8000ミリグレイで高線量の範囲になります。今後は、1日当たり1ミリグレイで総線量400ミリグレイの調査をさらに進めるとともに、1日当たり0.05ミリグレイで総線量20ミリグレイの条件でも同様の実験を行い、より低線量率に関する調査を進めていく予定です。
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